2010年03月10日

金縛りはどうして起こるの?

解体新ショー「金縛りはどうして起こるの?」2007年7月21日


睡眠を研究している福田一彦教授(福島大学共生システム理工学類)は「金縛りは、生理学的に100%説明できるし、実験室で再現することも可能です」と話す

通常、睡眠は、深い眠り(夢を見ないノンレム睡眠)から始まり、浅い眠り(夢を見るレム睡眠)へと移り、一晩でそれを何度か繰り返す

その深い眠りから、浅い眠りに入った瞬間、夢を見る前に割って入る。つまり、起こしてしまう。これを繰り返すと、眠りのリズムが乱れ、眠ったらすぐに夢を見るようになる
kana04.jpg
そうすると金縛りが置きやすくなるという。そして2時間後、金縛りが確認された

本人は「この部屋でした。全部見えました」という。しかし、画面では、その瞬間は目を閉じていたのが確認されている

実は、金縛りの時は、夢を見ていたのだという。眠る前に見た部屋の光景が、夢になって現れたのだという。眠ってすぐ見る夢、それを本人はまだ、起きていると錯覚している状態、それが金縛りだという

不規則な生活をおくっている人ほどなりやすく、かつてヨーロッパでは「看護師の麻痺」と呼ばれていたこともあるという。普通の人で4割が経験しているのに対し、看護師では、それが6割に上るという

金縛りというと「押さえつけられている」というイメージがある。東北地方でも、昔から座敷童子が、体をつかんで動けなくさせるという言い伝えがあるという

また、カナダのニューファンドランド島には、深夜に魔女が胸を押さえつけるという伝説があるし、ヨーロッパでも、夜中に悪魔が体の上に乗っかるという言い伝えがあるという

これらに共通しているのは、何かに圧迫され身動きできないという状態である

実験では、脳波だけではなく、筋肉の動きも調べてみた。すると金縛りにあっていたときは、筋肉は全く動いていなかった。そのため身動きが取れないと思うのだという

さらに、呼吸も動きが少なく、リズムも不安定だった。だから息苦しく感じるという

つまり、実際に体が動かなくて、息苦しい状態にある

そして、その状態を説明するために、脳はさまざまの夢を作り出す。すなわち、金縛りのお化けの正体は、脳が不自然な体の状態を説明するために作り出した幻なのだという

 金縛りについては、「脳は目覚めているが、体は眠っているから、動こうとしても動けないのだ」と、よく言われます。しかし、本当に脳が目覚めていて、座敷童子や魔女を見たのであれば、まさに超常現象ですね。
 その点、金縛りの時は、脳も、体も眠っているとするなら、納得できます。
 ただ、「眠る前に見た部屋の光景が、夢になって現れた」「眠ってすぐ見る夢、それを本人はまだ、起きていると錯覚している状態」以外にも、金縛りが起きる可能性はないのでしょうか。
 「起きてすぐ眼にした部屋の光景を夢の中でも見ていた」と思い込むこともあるのではないでしょうか。まあ素人考えですが……
posted by maro at 09:48| Comment(0) | 解体新ショー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月08日

長周期地震動

2010年3月7日(日)NHKスペシャル MEGAQUAKE 巨大地震 第3回「長周期地震動」
 
 1985年9月19日午前7時、メキシコシティを襲った巨大地震は、都心のビル1,000棟以上を破壊し、犠牲者約1万人に上る大災害をもたらした。規模はM8.1と巨大だが、震源は西400キロも離れた太平洋沿岸だった。このとき、都心部で奇妙な地震の揺れが記録された。揺れが3分余りも続いたのである。阪神大震災が約15秒程度だったのに比べ、格段に長いことが分かる。
 周期も、阪神大震災が1秒だったのに対して、メキシコ地震は2秒だった。つまりゆっくりした揺れがかなりの長時間続いたことになる。これが、長周期地震動だ。
 さらに、被害は14階建て前後のビルに集中しているという奇妙な事実も明らかとなった。
 その原因は、建物の高さと地震の周期の密接な関係にあった。模型実験によると、短周期では低い建物が激しく揺れるのに対し、長周期では逆になる。固有振動数に近い刺激に対して自ら揺れを増幅する共振現象が、周期の長短により異なる種類の建物に発生したのである。つまり、2秒の周期に14階建てが共振したのである。
 では、なぜ長周期地震動が起こったのか。その原因は、軟弱な地盤にある。メキシコシティは、巨大な湖を埋め立てて(茶色部分)建設されたため、地盤が軟弱となった。それが地震のエネルギーを長周期地震動に変化させたのである。
 実は、日本でも昭和19年の東南海地震(M7.9)のとき、東京で長周期地震動が記録されていることが分かった。大きな揺れが2分ほど続いた後、ゆったりとした揺れが10分以上続いたのである。そして、周期は、3、4秒前後と、10秒前後に集中していた。
 長周期地震動が起きた理由としては、関東平野の地下に軟弱な地盤があるからだと考えられる。さらに、さらに、太平洋沿岸の震源域の上には、付加体という軟弱な海底地盤が横たわっている。すなわち、首都圏は、長周期地震動が起きやすい環境にあるといえる。
 実は、霞ヶ関ビルディング(昭和43年完成)では、長周期地震動の対策が取り入れられていた。壁の一部に溝をつけたスリット壁と呼ばれるもので、ここから徐々に亀裂が広がることにより、共振のエネルギーを吸収しようというものである。しかし、建設費節約のため普及しなかったという。
 全国の超高層ビルは、約2,500棟あるという。最近、長周期地震動対策として注目されているのが制震ダンパー。筒の内部の油が揺れを吸収する仕組みという。これを建物に複数取り付け、揺れを最小限に抑えようというのだという。最近の超高層ビルには、この装置が取り付けられるようになったが、既存のビルについては、あまり対策は進んでいないという。
 以上が、番組の大まかな内容です。具体的データを駆使して非常に説得力のある番組です。
 ただ、メキシコ地震のはるか以前に長周期地震動の問題は分かっていたのではないかという疑問が生じます。霞ヶ関ビルディング(昭和43年完成)では、長周期地震動の対策が取り入れられていた、というのですから。もっとも、低層マンションに暮らしている一般庶民ににとっては、長周期地震動はあまり影響はないのかもしれません。ゆっくりした長い揺れには強そうですから。
 また、首都圏は長周期地震動が発生しやすいのに、こんなに超高層ビルを林立させていいんだろうか、という疑問も生じました。まさに、砂上の楼閣といった感じですね。そもそも、国造りの根本から間違っていたのではないか、という気がします。極端な一極集中の生み出した弊害といえるのではないでしょうか。
 ところで、番組内ドラマの出演者は「中央防災会議による「巨大地震」の被害想定総額は最悪200兆円、ただ、その10分の1、20兆円の対策費をかければ、被害を半分以下に食い止めることができるという。10年かけて対策を講じたとして国民1人頭、1日43円。高いと見るか安いと見るかはあなたたち次第です」と訴えています。
 既存のビルに制震ダンパーを設置する費用の試算が、番組で24億円と紹介されていたから、全国の超高層ビルの長周期地震動対策費を、そっくり税金で面倒見ようという意味なんでしょうか。そもそも、防災対策費は建設費に含まれているものでしょう。
 番組では、超高層ビル以外の、長周期地震動の想定被害についても、触れていたから、そちらの方の対策費の意味かなとも思いますが……。
posted by maro at 14:08| Comment(0) | HNKスペシャル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

禁じられた避難

証言記録 市民たちの戦争 禁じられた避難〜青森市〜2009年8月12日デジタルBSHi
 太平洋戦争末期、比較的安全と見られていた地方都市にも空襲被害が拡大していた。1945年(昭和)7月14日、空母艦載機100機が青森市を空襲、市内で400人以上が犠牲となった。米軍資料によると、攻撃目標は、操車場、青森港、連絡線桟橋、輸送機関などとされ、石炭輸送に打撃を与え、工業生産を低下させるのが狙いだったことが分かる。
 その結果、身の危険を感じた青森市民の3割が、郊外や田園地帯へと避難したという。 
aomori01.jpg これに対して、県や市は、町を守るべき市民が空襲を恐れ避難したことに危機感を抱いた。青森県知事は7月18日、「家をからっぽにして逃げたり、山中に小屋を建てて出てこないというものがあるそうだが、防空法によって処罰出来るのであるから断乎たる処置をとる」と新聞を通じて警告を発した。 
 青森市も、全員で避難して家が無人になっている場合は、28日までに帰らなければ、配給を停止すると発表した。
 配給を止められると死活問題となるため、多くの市民が帰宅せざるを得なくなった。
 鳴海正子さんも、母親と娘の三人で避難していたが、帰ることにした。当時、中学生だった花田哲子さん方では、子供だけ夜の間避難していたが、それも止めることになった。青森市職員の中には、仙台空襲の体験から、新型焼夷弾の前には消火活動は無力であるから、避難した方がよいと提言する者もいたが実らなかったという。 
 7月27日、米軍は「28日、青森を含む11都市のうち4都市を空襲する」という6万枚の予告ビラを撒き、青森市民に避難を呼びかけた。米軍の資料によると、ビラの目的は、市民を動揺させることにより、戦争の早期終結を目指した心理作戦だったという。(確かに28日の空襲は、14日のものとは明らかに目的が異なっています。つまり、軍需生産に打撃を与えるの目的ではなく、多くの民家を焼き払うことにより、日本国民に厭戦気分を高めようというものです。そのためには、財産を焼失させればよく、命までは奪う必要はなかったといえます。そのために予告ビラを撒いたとも解されますが、それでも、老人や子供など多くの非戦闘員を無差別に殺害することになることは容易に予測できたはずです。このような、無差別爆撃は人道に反するとして、米軍内部にも異論があったようです。) 
 それを読んですぐに避難した人もいたが、米軍の謀略に過ぎないと無視する人もいた。結局、ビラはすぐに回収され、市民の目に触れることは多くはなかったという。 
 翌28日午後9時15分警戒警報発令。正子さんは、母親と娘の三人で地下室に避難。哲子さん方では、父親だけが残るが、他の家族全員で逃げることになった。 
 午後10時37分空襲。62機のB29の大編隊で、それぞれ9トンの新型焼夷弾M-74を搭載していた。このM-74は中に大量の黄燐が仕込まれていた。黄燐は空気に触れると自然発火する性質があり、水をかけると飛散して、乾くとまた燃え出すことにより、被害がさらに拡大するという厄介なものであった。米調査団も、「消防能力を上回った」とその成果を報告している。
 鳴海正子さん一家は、焼夷弾の威力に危険を感じ、1階に上がったところで火に囲まれ、気を失った。正子さんだけは奇跡的に助かったが、母と娘は助からなかった。 
 花田哲子さんは逃げる途中、サーベルを下げた兵隊に行く手を阻まれた。残って火を消せという言うのだ。それを何とか突破して逃げたという。同様の体験をしたという複数の証言があるという。 
 28日の空襲で、青森市街の9割が焼失、1018人が犠牲となったという。空襲から2日後、花田哲子の親戚みんなで行方不明のおじを探したところ、焼け跡から遺体が見つかったという。(ここのところは前半部分と食い違っているようですが、放送ではこうなってます) 

 あと半月で戦争が終わるということが、分かっていたら、そのまま避難を続けたでしょう。鳴海正子さんの残念さが思いやられます。平和のありがたみをつくづく感じました。
 それにしても、偶然の一致でしょうが、28日に期限を設定したのは、まるで空襲を予測したかのようですね。
posted by maro at 01:20| Comment(0) | BS | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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